自然農法と有機農業、何が違うのか?

 有機農業に関わっていると、様々な言葉が乱立していることがわかる。「有機農産物」、「有機栽培」、「自然農法」、「オーガニック」。一体、我々が食べている有機農産物と何が違うのか?疑問に思われる方も多いかと思う。特に日本でよく聞かれるのが「自然農法」。では「自然農法」と市島で取り組まれている「有機農法」とは何がどう違うのか?

  「有機農業」以前に、日本には「自然農法」

 そもそも「有機農業」という言葉はずっと昔から日本にあって、農薬・化学肥料が日本に導入される以前は有機農業であったと思われている方が多く、有機農業とは昔の伝統的な農法にもどすことであると思っている方が多い。実は歴史的には「有機農業」以前に日本には「自然農法」というものが存在し、日本の有機農業の発展の中で自然農法が大きな役割を担っていたことも知られていない。
有機農業という言葉が生まれたのは1970年代、日本有機農業研究会を設立した初代の代表、一楽照雄氏が海外で始まっていた「オーガニックファーミング」を「有機農業」と訳したところから始まった。

 有吉佐和子の小説『複合汚染』が広めた
 
1970年度、当時、日本は高度成長期にあり、生産性を重視した近代農法により土は化学肥料と農薬の影響で疲弊し農村の動植物は減少の一途をたどっていた。各地でこのことに疑問を抱いた生産者、消費者、ジャーナリスト、研究者、医師らが一楽氏を中心として1971年に設立したのが日本有機農業研究会で、ここを中心として日本の有機農業は広がってきた。1974年には農薬や添加物の問題を丹念に調べ、その実態を書いた、有吉佐和子氏の「複合汚染」の中で、安全な農産物の生産を進める未来の農法として有機農業が紹介され、これが世間に有機農業を広める、大きなきっかけになった。市島の有機農業研究会はその過程の中で1975年に設立しているので、日本の有機農業の始まりの初期の頃から早い段階で有機農業が始まっていると言える。

 インドの伝統的な有畜循環型の農業を研究したイギリス人
 有機農産物が広がるに従って、海外からも有機農産物が輸入されるようになる。特に国がJAS法の中で有機農産物の表示の法律を確立して以降、有機農産物と並行して「オーガニック」という言葉も入ってきた。実は、有機農業の発生の地は英国で、当時、英国の植民地であるインドへ赴任した、植物学者のアルバートアワード氏が、インドの伝統的な有畜循環型の農業を研究し、インドール式処理法という「堆肥作り」の本を1924年に発表してから、有機農業/オーガニックファーミングが世界に広がり始めている。このハワード卿の考え方に同調する人々が集まってできたのが英国土壌協会で、実は10月下旬に日本の有機農業研究会のメンバー数人で英国を訪れ、交流する予定になっている。

 自然の循環を大切にする「自然農法」
 英国から広がった有機農業は、日本、中国、韓国の伝統的な農業を研究し発表していた農学者キング氏の影響でアメリカにも普及し、1941年にはアメリカ有機農業の父であるロデール氏が「オーガニックファーミング」という本を書き、これを日本の一楽氏が「有機農業」と訳したところから有機農業という言葉が生まれたわけだ。今ではこの「有機農業」という言葉は漢字圏である韓国、中国、台湾でも「有機農業」とか「有機農産物」という名称が使用されている。
では有機農業というものは海外から導入されたもので、元々、日本に存在したものではないのかということになるが、実はそうとも言えないところがある。有機農業とは農薬、化学肥料を使用せず、自然界にある有機物を利用して安全で環境にやさしい食糧生産方法であるが、これに似た考え方は、海外から「有機農業」という考え方が来る以前から日本に存在しており、それが「自然農法」だ。そもそも有機農業の歴史を見てみると、英国のアルバート卿はインドから、米国の有機農業は日本や韓国、中国などのアジアの伝統的な循環農法から学んでおり、昔から、アジアには仏教や儒教、道教など自然の循環を大切にする考え方が根付いていた。

 岡田茂吉氏が広めたMOA(自然農法)
 最初に「自然農法」というものの考えを発表したのが、宗教団体・世界救世教の創始者である岡田茂吉氏である。岡田氏は1935年に「作物に肥料を使うのは人の健康に対する医薬や栄養の考え方と共通した誤りがある」と考え、「無農薬、」無肥料」を原則として自然農法を自らの畑で実践し、教団の教えとして広めた。氏、亡き後、教団はいくつかに分裂するが氏の教えである「自然農法」は継続して教団の教えとして実践されている。よく「自然農法」の農産物を販売する店にMOAと書かれているがこれは、茂吉のM、岡田のO、アソシエーションのAの略でMOAとは岡田茂吉協会と訳すことができるかもしれない。岡田氏の「自然農法」は「MOA自然農法文化事業団」、「自然農法国際開発センター」、「神慈秀明会」、「黎明協会」に分かれて継承されている。ただ、団体によって微妙に「自然農法」についての見解は異なっており、多少は耕したり、堆肥や有機肥料を利用することが認められている団体があったり、微生物資材であるEM菌を技術の中心に据えていたり、反対に一切の微生物資材の使用を認めなかったりさまざまだ。

 福岡正信氏の自然農法「わら一本の革命」   
  この世界救世教とはまったく別個に「自然農法」を提唱されたのが、愛媛の福岡正信氏である。氏は高知県の農業試験場の勤務を通じて科学的知識の限界を感じ、1947年から「耕さない、肥料もやらない、農薬もかけない、除草もしない」ことを原則として自然農法を始める。独特の発想で、自然農法の技術を考える。日本有機農業研究会の設立にも協力し、日本だけでなく世界的にも有機農業の世界で影響を及ぼした。彼の著書、「自然農法、わら一本の革命」はベストセラーになり、20カ国以上の国に翻訳され、今でも有機農業の国際会議に出席すると福岡氏の自然農法の質問を受けることがある。

 川口由一氏の「赤目自然塾」 
  福岡氏の自然農法に影響を受け、1978年から模索し新たに「自然農」を確立したのが、奈良の桜井市の川口由一氏である。氏は専業農家の長男として生まれる。化学肥料と農薬を使う農業で体を壊すことがきかっけで独自の自然農法を生み出し、「自然農」と命名する。「耕さないこと、肥料を施さない、除草剤を使用しない、草や虫を敵としない。」ことを原則に三重県の名張市に「赤目自然塾」を設立、「自然農」を指導にあたっている。

 有機農業に自然農法を取り入れたりするが・・・
 自然農法も「自然農」とか「自然栽培」とか、「MOA自然農法」とかさまざまな呼び方がされているが全般的には「耕さない、肥料をやらない、草もあまり除草しない」ことを原則としている。有機農業はもちろん、土に空気を入れるために耕すし、肥料も堆肥や有機肥料を施肥するのが一般的だ。ただ有機農業をやっている人にも多くが自然農法の技術を取り入れ、耕さなかったり、肥料をやらなかったり、両者は微妙に混ざり合っている。市島町でもこれまで、自然農法に取り組む生産者もいたが続けるのが難しいのが現状だ。

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