「おい、わしはもう飯を喰うたかィな?」

食事といえば、このころ熊楠はゴンドの干物の味をおぼえている。巨頭鯨(ごんど)は熊野捕鯨の特産で、毎朝女たちが振り売りにやってくる。

それを、真っ赤に熾(おこ)した炭をいれた七輪にアブリコ(金網)をかけ、じゅうじゅう脂をたてはじめたゴンドの肉に、ぱらぱらと塩をふりかけてかぶりつくのである。この干物に冷酒がよくあう。
「これぁ、たまらん」
どんぶりの酒をぐいぐい飲みながら、熊楠は唸った。以来、これが病みつきになってしまった。
このころ熊楠は植物採集によくでかけている。熊野山塊は温暖と多雨が結びついて、山が深く樹林が空をおおってくろぐろと生い茂っている。なかでも湿潤な那智山原生林は地衣類の研究にはうってつけの自然環境であった。
「よっしや、那智に登ろう」
(略・熊野蒙昧の天地 p183)

 熊楠の八畳の書斎は聖域であった。ここにこもって検鏡や著述に没頭していると、夜(よ)も昼(ひ)もなかった。食事どきになって声などかけようものなら、
「おしゃは、わしに飯なんど喰わせようちゅう気ィか!」
と怒鳴られてしまう。
熊楠の食事は“時”とのかかわりはなく研究の句切り、一段落がそれであった。だから松技は、夜中でもいつでも熊楠が台所にやってくると、即座に食事ができるように火鉢にタドンをいれ、湯を沸かしていた。
徹夜などになると熊楠は、好物のアンパンを女中に買いにやらせ、紙袋のままアンパンを書斎に持ちこんでいる。アンパンの数はいつも六つ。そしてそれを喰いつくして夜が明けると、台所にやってきて韮(にら)を刻みこんだ味噌汁をすすりこんで、また書斎にかえっていく。愉快なことに熊楠は、徹夜が何日かつづくと、やがて自分でも、いまが朝だか昼だか夕方なのか判らなくたり、ふらふらと書斎から出てきて、
「おい、わしはもう飯を喰うたかィな?」
「いえ、今日はまだ何も……」
「それぁ大変じや。飯、めし」
そういって喰いはじめるのだが、ときには疲れのあまり、箸と茶碗を持ったまま子供みたいに眠りこけてしまうこともあったという。
だが、それほど根をつめている研究に句切りがついたときなど、まるで人がわりしたように上機嫌で、
「さあて、散歩でもしてくるか」
と、往還にでていく。
ところが田辺は、城下町の道筋をそのまま残しているので、どの道もT字形になっていて、折れ曲ったかと思うと、すぐに突きあたる。近道をとろうとしてちがう道を行くと、方向オンチの熊楠などたちまち迷路に踏みこんでしまう。で、ちかごろは幼ない熊弥を道案内がわりに連れていくことにしている。
(略・.人の交わりにも季節あり p311)

出典:『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』神坂次郎 新潮社(1987)

コメント:痛快この上なし!! (同じ著者の「水野南北」と同様に)。ずいぶん昔に読んだが、今回は熊楠と熊野への関心から再読。