『流れる星は生きている』より

七歳になったばかりのこの子が自分が餓えていながらも母の身を案じて・・・


    四月がやって来た。まだ春は訪れなかった。引揚げの噂は絶えず出ては、そのデマの引揚げの期日が来ると、次の新しい引揚げの期日がどこからともなくいいふらされて来る。私たちは燃料を山の現場から安く買って運び出しに出かけた。町をはずれて二キロも行くと小川を中心として小さい集落があった。そこから山に入って雪の上にちらばっている薪を背負い下るのである。
(略)
家へ帰って三人の子供が無事な顔をしていると安心した。正彦は病気以来前より元気になったような気がする。なにかしきりに食べたかって私に強く要求する。今日は皆で薪背負いの後でおやつに芋をゆでることにした。秤がないから三十人分の芋の山を作る。そうしてくじ引きで各自が好きなのを取っていくのである。私は四人分の会費を出しているから四人分のお芋を受け取った。これを三つの山に分けて正広と正彦に与えた。正広は大事そうにゆっくり食べている。正彦は餓鬼のように食べてしまって、いつものように私の分をねだって来た。お行儀の悪いことはしないように一応たしなめたが聞かない。ついに負けて私の残っている分を正彦に与えようとした。
「正彦ちゃん、もうこれだけですよ。そんなにお母さんを困らせないでね」
正彦は私の分を貰ってやっと落ちついた。私は正彦の食べ方を見ながらまた涙が出そうでならなかった。
「お母さん、僕のをお母さんに上げるよ、お母さんお腹がすいておっぱいが出ないでしょう」
今までじっと見ていた正広が突然こういって、まだ半分食べ残して歯の跡がついているお芋を私に差し出した。私は正広が本気で私にそういってくれるのをその眼ではっきり受け取ると、胸をついて出る悲しさにおっと声をあげて泣き伏してしまった。
七歳になったばかりのこの子が自分が餓えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。大地さんと倉重さんが心配して側に来て、
「どうしました、奥さん」
(続く)

昭和二十年八月九日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎――。夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録。戦後空前の大ベストセラーとなり、夫・新田次郎氏に作家として立つことを決心させた、壮絶なノンフィクション。(表紙カバーのコピーより)

出典:『流れる星は生きている』 藤原てい 中公文庫

コメント:泣きましたね・・・。本書で「餓鬼のように食べてしまった」正彦は、これもベストセラーとなった『国家の品格』の著者・藤原正彦。