「おふくろの昧」は生きるための知恵 

人間の食べ物の選択は食習慣から
昔の人は誰一人として栄養学を知らなかったにもかかわらず、非常に健康だったように思います。

私は貝塚のなかから人骨を採集する先生のお供をして、幸いにも偶然、人骨を見つけたことがありますが、その人骨は、先生のお話によると、非常に年を取った人なんだそうです。その証拠には第三大臼歯が全部残っていたんです。それは抜けたところはありましたけれど、きれいな歯でした。それから、頭蓋骨の裏側をなでてみるとスベスベしているんです。先生のお話によりますと、若い者はザラザラしているけれど、これはスベスベしているから、だいたい七〇くらいだろうということでした。しかし、その人骨は非常に達者そうながっちりとした骨でした。
それ以来、私は縄文土器時代の人も非常に健康だったのではなかろうかと思っているしだいです。昔の人は栄養学を知らないで、どうして達者だったのだろうか。
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私どもの食べ物を選択する力は後天的なもので、生まれながらにして食べ物を選択する力はないのです。
私どもはいろいろなものを食べてみて、経験によって、食べたあと非常に気持がいいということなどを知る。私どもは終戦後、朝もサツマイモ、昼もサツマイモという時代を生きましたが、そのころはちょっと魚の焼いたのでも食べてみたいという気持が出てまいります。そういう気持は経験によって得た力であります。蛋白質が足りないから、私どもは自然に、イワシの塩焼でもいいから食べてみたいという気分を起こす。それは子供のころからの食習慣によって、それの欠けているところがあるために、昔の食習慣に帰りたいという気分から起きたものだと思うのです。
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通婚圏にみる献立の違い
その食習慣は誰が教えたのでしょうか。どうして私どもはその食習慣を身につけたのでしょうか。考えてみますと、子供のころ、赤ん坊のころから、母親がいろいろなものを食べさせましたが、その母親の味わいですね。つまり「おふくろの味」というものが私どもの根底に基礎的にできておりまして、それに反したことになると、もとの基本的な姿に帰りたいと思うのではないでしょうか。
そういうことがあるのではなかろうかと思って、「おふくろの味」というものについて、いろいろ考えてみたことがあります。おふくろの庖丁の使い方、お料理のやり方、材料の選び方はいったいどこからきたのだろうか。私がいろいろ考えた結果、それは二通りあります。一つは実家の母親のお手伝いをしながら身につけた技術です。もう一つはお嫁にきてから、婚家先のおしゅうとめさんの指導によって得た知識です。いずれにいたしても、先輩の知識をまねして獲得した知識です。
そこで、お嫁さんの持ち込む知識というものはどこから、どの程度の範囲にあるものか、ちょっと調べてみたことがあります。
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食習慣の地域差に栄養成分的な変化はない
東京のいろいろなマーケットに行きますと、八丁味噌というものを売っているんです。あれは独特の味噌ですので、なかなか食べにくく、味噌汁にしても飲みにくいんですが、それをちゃんと東京で売っているんです。つまり、八丁味噌を需要する人はかなりあるということですね。
そういう家をちょっと調べてみますと、私は東京生まれでございますよとそこの奥さんはおっしゃる。じゃあ、実家のお母さんはとこからお嫁に来た人ですかと聞くと、やっぱり東京育ちと言う。それではその前はというと、だいたい三河の人ですね。三河の人は八丁味噌が好きなんです。その好きな八丁味噌を東京へ持ち込み、その娘さん、そのまた孫娘さんも八丁味噌を買うというようになっております。
ですから、岩手県に地図の上でちくわを食べる風習がポンと飛び火しましても、そういうことがあるかもしれませんね。(続く)


出典: 『食の文化「日本の食事文化』 第一章 第三節「おふくろの味」は生きるための知恵 川上行蔵 」 財団法人味の素食の文化センター(1999)

コメント: いまは「おふくろの味」がどれほど継承されているのだろうか?  あるイベントで手づくりカレーを出したところ、「おいしい! ハウスカレーみたいや」とこどもが言ったとか。主流は、ファーストフードやインスタント食品の味、おそうざい屋さんの味・・・?