心は歳をとりません

 小説家は諦めたが・・・

 「私は子供のころから、よく夢を見ました。大きくなったら小説家になりたいというのが人生における私の最初のユメでした。その後トテモ小説家になれないと悟って、セメテ翻訳家になりたいという夢を抱きました」(『宇宙の秩序』)
 桜沢如一は、小説家になることは諦めたが、生き方そのものはまるで少年冒険小説のようにおもしろい。本人も、自分の人生をおもしろがっている。精神が若々しく、心が歳をとらないからだ。
「私は四十九歳になりました。四十九歳! もうすぐ五十歳です。ホントーかしら? ウソじゃないかしら、と思うのです。しかし、たしかに今年もお正月をしました。けれども心は、精神はまだ十七、八歳の頃と同じです。いや、三つか五つくらいの時と同じことなのでしょう。『三つ子(瑞児)の魂百まで』とか『雀百まで踊り忘れぬ』といいます。知識は子供の頃よりふえたようですが、心はちっとも大きくなってはいません。精神はちっとも変りません。精神は姿がないのですから、心がよったり、大きくなったり、小さくなったりしません」(前著)

自己をならうというは、自己をわするるなり。

 多くの人は大人になるにつれ、論理的思考力や判断力は成長しても、いつも無難な選択をする常識人になっていく。その挙句、精神までが老けこんでしまうわけだが、桜沢は晩年になっても冒険を止めなかった。
桜沢が「心は歳をとらない」と感じたのは、ある次元のサトリを得ていたからだともいえる。
「東洋におけるサトリとは、身も魂も自由と幸福と正義の国に達したという、明確で論理的な確信の境地です。もし、サトリへの道がはてしなく遠く感じられるのなら、その求める方向は間違っています」(『ゼン・マクロビオティツク』)
『ゼン・マクロビオティツク』は欧米でヒットし、彼の名を一躍高めた著書である。
 桜沢が世界に広めたマクロビオティツクは、今風の食養健康法ではなく、あくまでも禅の教えに基づいていた。以下は、「只管打座」を基本とし、「食は是れ法なり」と唱えた道元の言葉。
「仏道をならというは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己をわするるなり。
自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、
自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり」(『正法眼蔵』現成公案)
 I think, so I am not.(我思う、ゆえに我なし)
 桜沢は英語でズバリと言った。