「禍を福に転ずるの道は食に在り」

「お能の面をみてもわかるように、善人の口は、物ごとを素直に感じるので口の両端が上に反りあがってる。

が、悪人は人を恨み、それが言葉にも毒をもって、物ごとを歪んで解釈するさかい、への字なりに下がっている」
「そう言うたら、そうやな」
「相学では、皺一つにも吉凶禍福を観るが、吉相じゃ、凶相じゃと言うても、因(もと)を糺(ただ)せばみなみなおのれの癖が長い歳月に積みあげていったもンよ」
南北は、これらの人間の相や運命の中心に“食”があるという。
「運命ちゅう字ィは、命を運ぶと書く」
「なるほど」
「この命を運ぶためには、人間は喰わねばならん」
食は命を養う根元、命は食に随う。生涯の吉凶は、ことごとくこの食より起るのだと南北はいう。
「とはいえ――」
人間には天から与えられた天禄(食)に限りがある。身の程を超えた美食や暴飲暴食をするものは、たとえ良い相にめぐまれていても、ついには天禄を喰いつぶして災厄に見舞われる。
南北は以前、この食の貴さに気付かず観相して、失敗したことがある。
(略)

「禍を福に転ずるの道は食に在り」
食うという、もっとも素朴な営みを運命学にまで昇華させた南北の著『相法極意 脩身録』(全四冊・田中末栄堂刊)は、世間の評判をよんだ。
「天は無禄の人を生じないというが、人おのおの分限に応じて、天から与えられる食物にきまりがある。これを“天禄”という。この天禄をみだりに浪費する者は天の規律を乱す者である」
そしてまた南北は声を重ねて、人びとに語りかける。
「天禄には限りがある。これを大食するときは天に借りを生じ、これを返さずば己れに禍を受く」
「にんげん生涯の吉凶ことごとく食より起る。つねに大食暴食の者は、たとえ相貌大いによろしくても、身上治まりがたい。貧者は次第に窮するし、相応の福ある人ならば家を損じる」
ゆえに、みなみな食を慎めと南北は云う。
(略)

「大食で食の定まらぬ者は、慎まねば生涯身上おさまり難く、また一時は治まっても末長くは治まりがたい。ついには病を生じ家を損じる」
「食不同で定まりのない者は、相学上の貌(かお)よくても凶である。すべてが不安定で食を慎まねば生涯安堵を得がたい。貧者の場合は思うこと心に任せ難いし、八九分で崩れること多し。また、多少福がある人の場合でも、苦労絶えず、わが手でわが命を縮めること多し」
「……然れば、食は命を養うの根源(もと)、恐るべきは食なり。慎むべきは食なり。嗚呼、食たり」
にんげんの富貴貧賤、寿夭(じゅよう)、立身出世などすべて飲食の慎みにあるという南北の思想に共鳴した小谷湖南は、
《蓋(けだ)し食の多少を以て世の行蔵(進退)を律するに先人未発の論なり》
と拍手を惜しまない。
じじつ、南北のこの「慎食の教え」、食の相法は、南北自身の世間放浪の経験と見解から発した、唐(シナ)にも天竺(インド)にも南蛮にも類を見ない独創的なものであった。
明治の末年、陸軍薬剤監で食養学者の石塚左玄が、
「食正しければ心正しく、身も健か」
と、食物によって病が起り、食物によって諸病を癒し得るという説をうちだし、石塚食養所を設けて世の注目を浴びている。石塚のこの食物療養法のヒントは、おそらく南北から得たものであろう。

出典:『だまってすわれば 観相師・水野南北一代』 上坂次郎 新潮文庫(昭和63年)

コメント:江戸時代中期、極道にもなりきれない“くすぼり”(半端やくざ)から天下一の観相師となった水野南北(1760年~1834年)の痛快伝記小説。

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