一日二回、ソバや豆、野菜をちょっとずつ。

身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す

 実際の年齢よりもずいぶんお若く見えますねえ、とか、お肌がきれいですね、どうしているんですか、とよく聞かれるけど、

健康でいられるのは、毎日毎日、同じように暮らしているのがいいんじゃないかな。
だいたい朝の三時半から四時ごろ起きて、滝に入って顔を洗って、バケツの水をずーっとお堂に配ってお清めして、本堂行ってお勤めをしている。
お客さんが来ればお相手したり、雑務などもして、夕方からお勤めして食事。それから一、二時間ひと寝入りする。夜の零時半くらいまで、あれこれ仕事して。またちょっと寝て……。それを毎日毎日繰り返し繰り返し、くるっくる、くるっくる、やってるんだよ。
食べる量は少ないかもしれないな。一日二回、ソバや豆、野菜をちょっとずつ。間食はしない。あまりお腹すかないの。お茶一杯飲めば一食したような感覚になっちゃう。よく、みんなにね、「そんな生活して、だいぶお金残したでしょう」なんて言われるんだけど、それが、全然残んないんだよ。うまいことできてんねえ。
「二度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか」とよく聞かれるけど、変わったことは何にもないんだよ。みんなが思っているような大層なもんじゃない。行が終わっても何も変わらず、ずーっと山の中を歩いているしな。「比叡山での回峰行」というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。
戦後、荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことがあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチヤッて作っちゃうよ。今と同じですよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、六時ごろに仕込みして。くるくるくるくる……。もしここに屋台あったらラーメン屋のおやじだな。形は違うけどやってることは同じなんだよ。
人間のすることで、何か偉くて、何か偉くないということはないんじゃないかな。仏さんから見ればみんな平等。自分の与えられた人生を人事に、こつこつと繰り返すことが大事なのじゃないかな。
みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこしようとするじゃない、だから、ちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。自分の身の丈に合ったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事なんじゃないの。人間から見た偉いとかすごいとかなんて、仏さんから見れば何にも変わらないから。

出典: 『一日一生』酒井雄哉 朝日新書(2008)

酒井雄哉(さかい・ゆうさい)
1926年、大阪府生まれ。天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正太平洋戦争時、予科練へ志願し特攻隊基地・鹿屋で終戦。戦後職を転々とするがうまくいかず、縁あって小寺文頴師に師事し、40歳で得度。約7年かけて約4万キロを歩くなどの荒行「千日回峰行」を80年、87年の2度満行。この本を出したときは82歳で、比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。没年は2013年(87歳)。


コメント:平凡な言葉のなかにも千日回峰行を2度もおこなった阿闍梨だけに深い味わいと説得力があるなぁ・・・。


千日回峰行とは (「赤山禅院のサイトより」

千日回峰行は7年間かけて行なわれます。
1年目から3年目までは、1日に約30キロの行程を毎年100日間、行じます。行者は定められた260カ所以上のすべてで立ち止まり、礼拝して、峰々を巡ります。
4年目と5年目は、同じく1日30キロを、それぞれ200日間。
ここまでの700日を満じると、“堂入り”をむかえます。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず、眠らず、横にならず)で不動真言を唱えつづけます。その回数は10万と言われ、満行すると阿闍梨と称され、生身の不動明王になるとされます。
6年目は、それまでの行程に加え、比叡山から雲母坂を下って赤山禅院へ至り、赤山大明神に花を供し、ふたたび比叡山へと上る往復が加わり、1日約60キロとなります。その100日は「赤山苦行」とも呼ばれ、行者の足でも14~15時間を要する厳しい行程です。
7年目は、200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山中から赤山禅院、さらに京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山中30キロをめぐり、千日の満行をむかえます。