命のあるものを食べよう

あれは昭和四〇年、私か三八歳のとき。会社の経営状態が最悪な中で、私の運転する三輪車を車庫に入れようとしたとき、車が次男にぶつかり鎖骨を骨折してしまった。

また、ちょっと目を離した隙に金庫ごと盗まれるという不運が重なり、気持ちはどん底まで落ちこんでいた。考え込むと、頭が冴えて一晩中眠られなかった日々を今でも思い出すほどだ。
そんな心労、過労がたたって胃潰瘍になってしまった。市内の病院で手術し、なんとか成功したものの、術後が悪く切ったあとが癒着した。このままでは死ぬかもしれないと思って、藁にもすがる思いで、何か方法はないかと考えていたときに一冊の本に出会った。
その本こそが、「はじめに」にも書いたように当時出版されていた桜沢先生の著書『あらゆる病気別の食事法』だった。それを読んでいくうちに、あるくだりに目が止まった。
「世の中には、どこであっても普遍的なものがある。その一つが虹の色だ。赤から始まり、栓、黄、黄緑、緑、青、紫…と七色、これは世界中どこでも同じ、それこそが宇宙の仕組みだ」という内容である。
私は日ごろおぼろげに感じてはいても、はっきりと認識していなかったこのことに目の覚める思いで「これしか生きる道がない」「これこそ真理だ」と直観したのだった。そして「人は普遍的なものに依ることで、どんな病気も治る!」という言葉に勇気づけられ、一縷(いちる)の希望を持つにいたった。
暗闇の中に一筋の光を見出した私は、さっそく東京の目白にある桜沢先生の自宅を訪ね、三日間頭を下げ続けた。病後の思わしくない体調をかかえながらここまでしたのは「どうせ死ぬんだったら、この人に賭けてみよう」と思ったからだった。

それにしても、よく三日三晩食事も摂らずに耐えられたものだと思う。
先生が治療を断る理由の一つが、胃を切ったことだった。「西洋の医学は切って治すものだが、東洋の医学は切って治してはいけない。すべての病気を食べることで治せるというのが食事療法の考え方で、あらゆる病気に対する食事治療法をやっている。それを理解できる人しか相手にできない。胃を切ったような者に用はない」とひどく怒られ拒絶されたのを今でも鮮明に思い出す。
そういうわけで、先生には直接会ってはもらえなかったが、リマ夫人が取り次いでくださり、ようやく三日目に家に上げてもらうことができた。そのときの安堵感は「これで道が開けた。生きていけるかもしれない」という最高の喜びだった。
また、リマ夫人からの教えの中にもあった陰陽の調和は、本当に奥が深いといえる。「陰陽調和」は桜沢先生の本のタイトルにもなっているが、東洋思想(東洋哲学・東洋医学・易学)の根幹を成している考え方である。
(略)

先生は、陰陽調和のことを無双原理と名付けられた。そして、これを根幹とした実践的な食養法を「マクロビオティック」という。
この食養法は、症状に応じて食事が考慮され、たとえば糖尿病には小豆とカボチャと玄米を乾燥状態にしたものを等重量ずつ、毎食塩辛く煮て食べることから始める、などである。
いよいよ実践の段階に入った私は、まずこの食養法の七号食からスタートした。
これは、状態が一番悪いときのもので、献立には「玄米クリームカップー、ポンセン2枚、ゴマ塩小さじ1、ミ年番茶カップ2分の1」などの例があり、穀物だけを摂る献立となっている。これが一か月読いた。とはいっても私は何もせず、食事はすべてリマ夫人にお世話になった。さらにこの期間は、新聞もカロリーを使う運動も禁じられ、文字通り寝たきりの生活であった。
その次は六号食。号数が減るごとに食べられるおかずが増えていった。
(略)

一度は死も覚悟した病状が、いつどのように快復していったかは、正直あまりよく覚えていない。ただ私の場合、体の調子が良くなるにつれ頭もすっきりしてきて、やる気も出てきて、「よっしや、やるで!」という感じで快復を実感することができた。
治ってみて改めて、「玄米はすごい!」と心の底から思った。そして、このように治していただいた先生に、感謝する気持ちでいっぱいになった。(続く)

出典: 『命のあるものを食べよう』  杢谷 清(もくたに きよし) アートヴィレッジ(2012)

コメント:著者は(株)純正食品マルシマの創業者で現会長。日本醤油組合会長、日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会(JONA)の会長を歴任。また、小豆島に私財を投じて「桜沢記念館」を建設(平成元年)、「桜沢如一とリマの顕彰会」会長なども務め、85歳を過ぎた今もマクロビオティックの指導で精力的に活動している。