香りを求める人間の心は、歴史を動かす大きな力となってきた。

食べものの匂いはときに、味の九〇パーセントを決めることすらある。現在の科学者の説によれば、人間が味覚を持つようになったのは、もともとは毒を避けるためだったという。

一般に、食べられる植物は甘く、毒のある草は苦い。味わってみればだいたい、体にいい食べものか、そうでないかの見当がつく。
人間の舌の味蕾(みらい)は、十数種の基本の味を感じとれる。なかでもよく知られているのが、甘味、酸味、辛味、塩味、渋味、うま味(日本人研究者が発見した味で、肉や貝、きのこ、じゃがいも、海草などが引き出すまろやかなおいしさを言う)などだ。このように、味蕾はさまざまな味を感じとれるとはいえ、鼻のほうがはるかに敏感なセンサーを持っている。
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香りを求める人間の心は、歴史を動かす大きな力となってきた。この数千年というもの、大きな帝国が築かれ、未開の地に人が到達し、さまざまな宗教が大きく方向を転じた陰には、香料貿易があった。今日、香料が世界の市場におよぼす影響は、当時とちっとも変わらず、とほうもなく大きい。なにしろ、企業帝国-清涼飲料メーカー、スナック食品メーカー、ファストフード・チェーンなどの浮き沈みを左右するのは、たいてい、その商品の味だからだ。
香料業界が力を伸ばしたのは一九世紀なかば。加工食品が大量に作られるようになったころだ。食品会社は、加工のプロセスで失われる香りを補う香料添加物が欲しいと考えた。
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二〇世紀のはじめには、力をつけたドイツの化学業界が、香料の生産で一歩先を進みはしめた。語りつたえられた話によれば、あるドイツ人科学者が実験室で化学薬品を混ぜあわせていたとき、思いがけなく、初期の人工香料であるアントラニル酸メチルを発見したという。なぜか突然、実験に、ぶどうの甘い香りがたちこめたのだ。アントラニル酸メチルはその後、クールエイド(アメリカの粉ジュースの名前)のグレープ味を引きだす、おもな香り化合物となった。
第二次世界人戦後、香水メーカーの多くがヨーロッパからアメリカヘ移って、ニューヨークに腰を落ちつけた。香料業界もいっしょにやってきたが、やがて、大 な工場が建てやすいニュージャージーヘ移っていった。
はじめのうち、人工の香り添加物が使われていたのは、もっぱら焼き菓子やキャンディー、清涼飲料だった。一九五〇年代なかばになって、加工食品の売上が急激に伸びはじめた。やがて、わずかな量のガスでも探知できるガスクロマトグラフィーなどの装置が考案されると、作られる香りの数が増えた。そして一九六〇年代なかばには、アメリカの香料業界は次々に新しい化合物を生みだし、文字どおり数千もの商品に香りをあたえていた。
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アメリカ政府は、香料メーカーに添加物の原料を明かすよう求めていない。そのおかげでメーカーは、調合レシピの秘密を守りとおせている。メーカーはまた、香りの化合物はたいてい、香りを加えられる食品そのものよりも多くの原料でできている、という事実も隠してきた。“人工いちご香料”という名前を見ただけでは、加工食品のいちご味を作るためにどれほど高度な科学技術が注ぎこまれているか、想像もつかないだろう。
たとえば、ふつうの家でいちごのミルクシェイクを作るとき、必要なものは、氷とクリーム、いちご、砂糖、バニラ少々だけ。
いっぽう、ファストフードのストロベリー・ミルクシェイクの原料はというと、次のような感じになる。
乳脂肪および脱脂乳、砂糖、スイートホエー、高果糖コーンシロップ、グアルゴム、モノジグリセリド、セルロースガム、リン酸ナナトリウム、カラギーナン、クエン酸、食用赤色40号、人工いちご香料。
では、この人工いちご香料には何か含まれるのか。以下のおいしい化学物質だ。
酢酸アミル、酪酸アミル、吉草酸アミル、アネトール、蟻酸アニシル、酢酸ベンジル、イソ酪酸ベンジル、酪酸、イソ酪酸シンナミル、吉草酸シンナミル、コニャック油、ジアセチル、ジプロピルケトン、酪酸エチル、桂皮酸エチル、ヘプタン酸エチル、エチルヘプチレート、乳酸エチル、メチルフェニルグリシッド酸エチル、硝酸エチル、プロピオン酸エチル、吉草酸エチル、ヘリオトロピン、ヒドロキシフェニル-2-ブタノン(一〇%アルコール希釈)、α-ヨノン、アンスラニル酸イソブチル、酪酸イソブチル、レモン精油、マルトール、4-メチル、アンスラニル酸メチル、安息香酸メチル、桂皮酸メチル、ヘソタンカルボン酸メチル、メチルナフチルケトン、サリチル酸メチル、ミント精油、ネロリ精油、ネロリン、イソ酪酸ネリル、オリスバター、フェネチルアルコール、バラ、ラムエーテル、γ―ウンデカラクトン、バニリン、ソルベント。

出典: 『おいしいハンバーガーのこわい話』 エリック・シュローサー、チャールズ・ウィルソン 宇丹貴代実訳 草思社(2007)

コメント: ~はぁ・・・・(深~い溜息)