水野南北―石塚左玄―桜沢如一

小説『だまってすわれば』

小説『だまってすわれば − 観相師・水野南北一代』(神坂次郎著)を面白く読んだ。この小説によると、全国に一千人もの弟子がいたという南北はその晩年、伊勢参宮により豁然と大悟した。
五十鈴川の清流で禊をし、食を断じて21日間の荒行をしていた南北が、その満願を迎えた日。宇治橋を渡っていく伊勢講の一団の先達が話した言葉が、南北の朦朧とした頭の片隅に飛び込んできた。
「先刻お詣り申しました外宮に鎮座まします豊受大神、別名を御食津神(みけつかみ)と申しあげて食物一切の神様で・・・・」
その声を耳にした瞬間、南北はあたかも霹靂に打たれるごとくであった、という。もとより南北は、運命判断の基礎は"食"にありと観じていたからだ。伊勢参宮の後、南北は一気に筆を走らせた。
「それ、人は食を本(もと)とす。たとえ良薬を用いるといえども、食なさざれば生命を保つことあたわず。故に人の良薬は食なり。・・・・略。人を相するに、まず食の多少を聞き、これによって生涯の吉凶を弁ずるに一失なし。故に是を予が相法の奥意と定む・・・」(南北相法極意 修身録)。

 

BOOK紹介

『新修 南北相法・修身録(全)―開運の善導とその極意』

水野南北

 

無双といえば・・・

神坂次郎は、小説のこの場面でこう解説している。
≪南北のこの「慎食の教え」、食の相法は、南北自身の世間放浪の経験と見解から発した、唐にも天竺にも南蛮にも類を見ない独創的なものであった。
明治の末年、陸軍薬剤監で食養学者の石塚左玄が、
「食正しければ心正しく、身も健やか」と、食物によって病が起り、食物によって諸病を癒(なお)し得るという説をうちだし、石塚食養所を設けて世の注目を浴びている。石塚のこの食養療養法のヒントは、おそらく南北から得たものであろう。≫
そのとおりだろうと思うが、なぜか神坂は、石塚左玄が始めた事業(食養会)を継いだ孫弟子・桜沢如一のことには一言も触れていない(この小説は、昭和63年に発表されている)。石塚左玄の説いた食養理論「カリウム・ナトリウム論」を、桜沢如一はさらに宇宙大に広げ「陰陽の無双原理」を唱えた。