人の顔は食物の明細表

人を見ると食物に見える

人の顔は、母体時代からの食物の明細表である。水野南北は、ある人に、人相学の奥儀を究めるためには、何をいかにして勉強すればよいか、と質問されたとき、
「人の食物を究むるのみ」
と言下に応えた、ということである(『南北相法修身録』)。私は、いつのまにか人の相に、その食物を読むことをおぼえてしまったのである。これは、まことに困ったことである。私は、人を見ると食物に見える-------あるいはクダモノに見えたり、あるいは牛乳や卵に見えたり、トンカツに見えたり蒲焼に見えたりするから・・・・
その人の今日の食物がわかると、その人の過去の一生が分る。家庭が分る。境遇と経済が分る。したがって気質も性格も精神も分ってしまう。どこにどんな病気があるか、いつごろ性病をやったか、子宮が後屈になっているか、メンスがドレホドくるっているか、まで分ってしまう。つづめて言えば、幸福な人であるか、不幸な人であるかが分る。(桜沢如一著『食養人生読本』より)


結果と原因の道をたどり

「人を見ると食物に見える」のは「困ったことである」という桜沢のコトバには実感がこもっており、ほんとうに困ったのだろうと想像する。ただし、ユカイな困り方だ。このコトバで、昔読んだ小説『だまってすわれば 観相師水野南北一代』(神坂次郎)を思い出した。数奇で破天荒な南北の生涯を活写した、抱腹絶倒かつ痛快なエンターテイメントだった。
江戸後期の観相家・水野南北の占いは「だまってすわればぴたりと当てる」、まさに神業のようであったと伝えられる。幼くして両親を亡くした南北は、酒と喧嘩や賭博に明け暮れていた18歳の時、酒代ほしさに押し込み強盗をしでかして牢屋に入れられた。牢屋では罪人たちの顔をまじまじと観察して観相の第一歩に目覚めたが、出獄後、通りすがりの乞食坊主(水野海常)から「死相が出ておる、まずは4、5カ月の命」と言われ、その災いを逃れるため出家する。その後は観相学を究めるべく、髪結、風呂屋、火葬場で死体を処理する隠亡(おんぼう)など、さまざまな職について人体観察をおこない、ついには「人の命運はすべて食にあり」と喝破する。      
南北は観相の道から食の極みに、桜沢は食養の道から観相の極みに至る。つまり二人は、結果と原因という別の地点から一本の道に至り、その陰陽の中心でばったりと出会ったことになる。

                                           T・H 風小僧