林檎もバナナも桜の実も、口にしたことが稀であった

東京の都人が食後に果物を食うことを覚え初めたのも、銀座の繁華と時を同じくしている。


葛飾土産 (「荷風随筆集」より抜粋

 東京の郊外が田園の風趣を失い、市中に劣らぬ繁華熱閙(ねっとう)の巷となったのは重(おも)に大正十二年震災あってより後である。
田園調布の町も尾久三河島あたりの町々も震災のころにはまだ薄(すすき)の穂に西風のそよいでいた野原であった。
雑司ヶ谷、目黒、千駄ヶ谷あたりの開けたのは田園調布あたりよりもずっと時を早くしていた。そのころそのあたりに頻(しきり)と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣より高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活らしい心持をさせたことを、わたくしは記憶している。
与謝野晶子さんがまだ鳳晶子といわれた頃、「やははだの熱き血潮にふれもみで」の一首に世を驚したのは千駄ヶ谷の新居ではなかった歟(か)。国木田独歩がその名篇『武蔵野』を著したのもたしか千駄ヶ谷に卜居(ぼくきょ)された頃であったろう。共に明治三十年代のことで、人はまだ日露戦争を知らなかった時である。
コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代を審(つまびらか)にしない。しかし概して西洋種の草花の一般によろこび植えられるようになったのは、大正改元前後のころからではなかろうか。
わたくしが小学生のころには草花といえばまず桜草くらいに止って、殆どその他のものを知らなかった。荒川堤の南岸浮間ケ原には野生の桜草が多くあったのを聞きつたえて、草牡(わらじ)ばきで採集に出かけた。この浮間ケ原も今は工場の多い板橋区内の陋巷(ろうこう)となり、桜草のことを言う人もない。
ダリヤは天竺牡丹といわれ稀に見るものとして珍重された。それはコスモスの流行よりも年代はずっと早かったであろう。チュリップ、ヒヤシンス、べコニヤなどダリヤと同じく珍奇なる異草として尊まれていたが、いつか普及せられてコスモスの流行るころには、西河岸の地蔵尊、虎ノ門の金毘羅などの縁日にも、アセチリンの悪臭鼻を突く燈火の下に陳列されるようになっていた。
わたくしは西洋種の草花の流行に関して、それは自然主義文学の勃興、ついで婦人雑誌の流行、女優の輩出などと、ほぼ年代を同じくしていたように考えている。入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれまたその運命を同じくしている。向島の百花園に紫苑や女郎花に交って西洋種の草花の植えられたのを、そのころに見て嘆く人のはなしを聞いたことがあった。
銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移り、遂に市中第一の賑いを誇るようになったのも明治の末、大正の初からである。ブラヂルコーヒーが普及せられて、一般の人のロに味われるようになったのも、丁度その時分からで、南鍋町と浅草公園とにパウリスタという珈琲店が聞かれた。それは明治天皇崩御の年の秋であった。

           ○

 談話がゆくりなく目に見る花よりも口にする団子の方に転じた。東京の都人が食後に果物を食うことを覚え初めたのも、銀座の繁華と時を同じくしている。これは洋食の料理から、おのずと日本食の膳にも移って来たものであろう。それ故大正改元のころには、山谷の八百善、吉原の兼子、下谷の伊予紋、星ヶ岡の茶寮などいう会席茶屋では食後に果物を出すようなことはなかったが、いつともなく古式を棄てるようになった。
わたくしの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎もバナナも桜の実も、口にしたことが稀であった。むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜、真桑瓜(まくわうり)、柿、桃、葡萄、梨、栗、枇杷(びわ)、蜜柑のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水密桃ができ、葡萄や覆盆子(いちご)に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以降であろう。
大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終った。われわれが再びバナナやパインアップルを貪り食うことのできるのはいつの日であろう。この次の時代をつくるわれわれの子孫といえども、果してよく前の世のわれわれのように廉価を以て山海の美味に飽くことができるだろうか。
                                                                                                          昭和廿二年十月

出典:『荷風随筆集(上)』    野口富士男編 岩波文庫(1986年)


コメント:これは戦後の食糧難時代に書かれた随筆集だが、「大正モダン」といわれた時代の空気がよく表れている。当時(大正)珍しかった覆盆子(いちご)の話は、いま放映中の朝ドラ「ごちそうさん」の始まりころに出てきた。洋風に「食後の果物」と西洋種の花が流行ってのもこの頃とか。衣食住の流行りは特に、いつの時代も女性がつくるものだなぁ。
それにしても里山風景にもなじんだコスモスの花が、もっと古くからの在来種ではなかったとは意外や意外・・・。

コスモス
原産地はメキシコの高原地帯。18世紀末にスペインマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられた。日本には明治20年頃に渡来したと言われる。秋の季語としても用いられる。(ウィキペディアより)