肉ばかり食べるエスキモー

文字通りの極北に住む彼らはその酷寒地の中に生きるための手段として白熊やアザラシの肉を恐ろしくたくさん食べる。

普通の人間の胃袋では消化しきれないほどの肉を一時に詰めこむのだ。エスキモー地帯に旅行し、彼らと起居をともにしたフランスの人類学者ド・ポンサン(G.DE Poncins)はある夜半、エスキモー達がとってきたばかりのアザラシの肉を雪小屋の中で食べている光景をつぎのように描写している(近藤等訳『極北の放浪者』新潮社、一九五七)。
「……私のそばには、三人のエスキモーがいた。蝋燭のかすかな光に照らされて、三個の無気味な影法師が雪小屋の壁にゆらゆらゆらめいている。三人とも同じ恰好でしゃがんでいる。膝をつき、首を前に突き出して、背中を丸め、手だけをしきりに動かしていて、何かを噛み砕く音が聞える。……彼らは凄惨な大宴会を開いているところだった。彼らは途方もなく大きな肉塊に、ガツガツむしやぶりついている。彼らの腕の影法師が、ヒョロリと伸びる。口一杯にほおばっているのに、もう手はつぎの肉塊に伸びているのだ。雪小屋の中には、アザラシの臭いと、それをむさぼり喰っている原始人たちの強烈な体臭とが、胸を悪くするようにむっと立ちこめている。原始人たちの横顔は、生血にまみれ、脂肪でテカテカ光っている。……人間は三人、肉は五〇ポンド以上あったにちがいない。三人はそれぞれ、相手に肉をとられまいとしながら、動物のように唸りながらかぶりついていた。
歯は軋り、顎は鳴り、腹が一杯になってくると、満足そうに大きな生臭いゲップをもらす。雪小屋の壁は、血のまじった唾で、みるみる真赤に染まり、それがポタポタしたたってくる。三人は、なおも喰いつづけている。……短刀で肉を切る必要もない。骨さえ、歯でガリッと噛み砕くのだ。彼らは途方もなく物を食べることができる。明らかに彼らには、動物と同じように、あと何日か何も食べなくても生きていられるくらいの食糧を、十分に喰い溜めできる能力があるのだ。それだから、こういう原始人たちの腹は、時々、途方もなくふくれ上っているのだ。……」
だがこのエスキモーのように、人間は動物性蛋白質だけを食べていつも本当に生きていられるのかどうか? またそのように一度に蛋白質を食べてしまって本当に消化し切れるのかどうか? この点を最初に実証した白人は初期の探険家ステファンソンたちであり、彼らは一年間というもの動物性食品だけでこの地域に一年の間生活してみたのだが、その結果は立派に健康は維持することができたのだし、血液や尿その他の点にもすこしも異常は起らなかったのである。この点についてもうすこしつけ加えると、さきのド・ポンサンはさらにすこしたってからあるフランス人の神父に行き合っている。
この神父はもう永年の間エスキモーの間に住み、零下五五度という雪小屋に住んで布教を続けていたのだった。ド・ポンサンはこの神父のためにわざわざもってきたチーズその他白人の食物をさし出すが謝絶されてしまう。「……かねて用意した贈物をとりだすと、彼は頭をふる。いや、なかなか結構ですが、こういうものは、食べられないのです。米でさえだめです。消化しないのです。『こういうのは、体をあっためてくれません。ところが冷凍のアザラシときたら……』これこそ彼にとって一番の美味佳肴なのだ。身体をあたため、熱を身体中にもたせてくれるのは、これに限るのだ、と彼はいう。食物に変化をつけなければいけないと医者はいうが、彼は六年このかた、冷凍の肉だけを食べて暮している。しかも、決して病気などはしない。朝、目がさめると、床から大きな肉片を拾いあげる。ひどく堅いので、歯を入れる前に、口の中にふくんで、やわらかくしなければならない。しかし何とすばらしい味だろう……」(上掲書、一五一ページ)。
とにかくこうしてみると、酷寒という環境の中に住む人間の場合、その食物の欲求と消化能力は非常に変化していることがわかる。

出典:『文化人類学のすすめ』祖父江孝男 講談社学術文庫 1976年

コメント:絶句、驚嘆! 人間の体というのはこれほど適応力があるものか。極端なべジタリアンでもこの地に暮らしたら、生きるためにこうなるのだろうか。そして逆もまた然り?
しかし言うまでもないことだが、四季もうるわしい日本の風土でエスキモーの真似をしたら、たちまち病気になってしまう。間違いなく!